お墓を持つことの意味

今年のお彼岸は晴天に恵まれ、お墓参りをするにはちょうどよいお天気でしたね。

お盆が過ぎ、再びお墓がお花やお線香の香りで賑わう9月のお彼岸。

福厳寺では毎年、彼岸慰霊祭が行われます。

福厳寺には金の観音様がいらっしゃる、お寺のすぐ前の霊園だけでなく、少し離れたところに第Ⅱ霊園、福聚苑という霊園が2ヶ所あります。

毎年、お彼岸のときは第Ⅱ霊園、福聚苑にも伺い、福厳寺僧侶がご供養します。

今年も、総勢約60名くらいの方たちがみえました。

小さなお子さんの手を引きながら、ご家族皆さんでお参りにみえる方たちもたくさんいらっしゃいます。

最初に皆さんで一列に並んでいただいて、僧侶とお経を一緒に唱えます。

その後、お線香を持ってご自身のお墓の前に行き、僧侶の個別のご供養が終わると、お線香を手向けてお参りをしていただきます。

毎年彼岸慰霊祭のときには、霊園の雰囲気が大きく変わります。

雰囲気が、とても澄んでいるのを感じるのです。

ご供養が始まる30分くらい前から、お墓を掃除したりお供え物やお花をお供えされたりしている方たちがたくさんいらっしゃいます。

そしてご家族皆さんで、心を一つにしてご先祖様へ手を合わせるからなのでしょうか。

ご供養の後に僧侶の法話があったのですが、一緒に慰霊祭へ参加させていただいた職員の私も、大切な気づきをいただいて帰ってきました。

それはお墓参りの大切さと、お墓を持つことの意味です。

お墓を持っていらっしゃる方がお盆やお彼岸などにお墓参りをするのは当たり前のように感じますが、それは決して、当たり前ではないということ。

お墓参りのとき、あなたは手を合わせながら、どんなことを想いますか?

ご先祖様への感謝の気持ちや、これからも守ってくださいということもあると思いますが、もう一つ。

お墓の前だからこそ、唯一できることがあるのです。

それは、一人、思いのままに自分の気持ちに浸り、振り返ることができること。

お墓の前だから、素直になれる自分がどこかにいないでしょうか。

「あのとき、もっとこうしていたら…」、「本当はそんなこと思っていなかったのに」、「どうして、あんなこと言っちゃったのだろう・・・」

本当にちょっとしたことですが、自分だけの心に戻れる時間なのです。

日常の忙しい毎日に戻ったとき、お墓の前に立って手を合わせていたあの時間が、とても貴重だったことに気づきます。

そういう時間は、普段なかなか取れません。

すごく幸せな時間だったのです。

2011年の3.11東北関東大震災のときには、大切なお墓が流されてしまったご家族がたくさんいらっしゃいました。

今も、持つことが叶わない方たちがたくさんいらっしゃると聞きます。

お墓があるから、お墓参りをするのが当たり前。

そんな風に考えるのではなく、お墓参り=自分を見つめ直す時間をいただくこと。

そう感じて、感謝すべきことだと思いました。

【福厳寺職員の気づきより】